野生生物保全についての考え方

野生生物保全に対する疑問

人間にとって有害な野生生物の排除 -どのような共存のあり方を描くのか-

 「野生動物を守るのは、本当によいことばかりなの?」 このような疑問をもつことはありませんか。「カにさされたり、ダニにかまれるのは困る、ゴキブリが出てくるものはいやだ。」と言う人は多いでしょう。「人をインフルエンザなどの病気にかからせるウイルスや細菌なんかなければよい。」というのはすべての人の願いではないでしょうか。
このような疑問に対して一言で答えることはできないと思われます。しかし、野生生物と人間の関係を順を追って整理していくと、どう考えればよいかが見えてきます。

 1万年ほど前、人間は、草原、あるいは森や原野を切り開いた土地などで、田畑を作ったり、家畜を飼うようになりました。野生の植物をなぎ倒し、動物を追いちらし、広い土地を独占して利用するようになったのです。その結果、あらゆる場所に広がっていた野生生物のくらし場所(生息地)は、バラバラに切り離され、小さくなっていきました。まとまったくらし場所を失ったために地域的に絶滅する野生生物が続出しました。それから長い月日がたった現在、比較的標高が低い場所のほとんどは、人間が侵略してしまっています。

 多くの人が住む「都市」では、人口密度が高く、ビルや道路などの人工物が集中しています。そこに「野生の世界」はまったくといってよいほど残っていません。けれども、そのことは都市に野生生物がまったくいないという意味ではありません。都市の環境に適応し、住み着いている生きものたちがいます。これらの生きものは、野生の世界からほとんど切り離されて、人間社会に依存して生きているのです。都市は、人間が快適に生きるために人工的につくられた場所です。その中でしか生きられないのなら、人間から与えられた条件の範囲で生きていくというのはやむをえないことでしょう。人間を病気にかからせる細菌などを排除することが認められるのもそのためです。
 ただし、都市で生きるとはいっても、生きものの種類によって、都市に対する依存の程度が違っていることに注意が必要です。冬に多数見られるユリカモメは、海辺だけでなく、川や都心部の池でも見られ、ゴミをあさったりしていますが、春になるとユーラシア大陸に繁殖のために帰っていきます。
 そもそも、事の始まりとして野生生物が住んでいた場所を人間が占領して都市を造ったということ、都市に引き寄せ、そこでの生活に適応させた原因は人間にあることを忘れることはできません。人間の都合を振り回すだけでなく、都市に依存して「野生」とはいえなくなった動物たちともできるだけ共存できる都市づくりをすべきでしょう。カラスがゴミを荒らしたり、餌をくれない人を襲ったりという問題について、カラスを殺せばすむというのは間違いです。
 なお、おそろしいインフルエンザなどの原因、都市や家畜の飼育施設など、人工的な環境の中で突然変異した、「新型」のウイルスであることが多いといわれています。自然にではなく、人間が創り出したともいえる生きものなのです。こうした生きものを人間の手で排除することは(都市では自然な進化プロセスで誕生した細菌を排除することも許されるのですから)、当然許されることになります。ただし、そのような「いたちごっこ」を続けなければならないのは、野生の世界を侵略したことによる代償だということがもっと認識される必要があります。

 多くの国で、都市の外側には、田畑や牧場が広がっています。 一面、緑の景色で、「美しい自然だ」と言う人もいます。しかし、このような田園地帯(農用地とその周辺の集落)も人間が創り出した環境です。ですから、都市におけるのと似た共存の仕方があてはまる面があります。 ただし、田園地帯は、都市と違って、部分部分に「野生の世界」が残っています。河辺、湖、ところどころに耕されずに残った湿原、お社のある鎮守の森などです。また、都市のようにコンクリート化されていないなど、人工化が徹底していないので、田畑やその近くに住み着く野生生物の人間への依存の程度も都市ほどではありません。人間と野生生物が共存できる可能性はより高いといえます。田畑を整備するときに、コンクリート張りにせず土の水路を残したり、殺虫剤や野生生物にとって毒となる化学肥料を使わないことは共存を維持するための工夫のひとつです。とはいっても、田園地帯は人間の食糧を生産する場所として人間が作りかえた場所ですから、そのさまたげになる生きものがある程度排除されてしまうこともやむを得ないでしょう。コメを実らせる稲の葉につく昆虫などは、人間の利害から見て「害虫」とよばれますが、「害虫」を発生しないようにすることはやむを得ないのです。 

  田園地帯の外側には、森林や原野が広がっていることがあります。このような場所に住む生きものに対する人間の影響は比較的小さく、自律的な暮らしが営まれています。このような場所を自然地域と呼ぶことにします(ただし、「自然」地域といっても、植林とその後の施業管理が行なわれる人工林とより人間の影響が少ない自然林などを含みます)。人間に侵略されてどんどん小さくなってしまった「野生の世界」の主な領分はここにありますから、自然地域、特に人間の影響が小さい場所をこれ以上奪い取ることだけは避ける必要があります。多くの国 では、このような場所の一部を保護地域に指定し、野生生物の捕獲を禁止したり、木をきったり、建物を建てるなど野生生物のくらし場所を破壊する行為を禁止しています。
 ところが、このような自然地域と田園地帯との境界の内外で、人間と特に大型の野生動物とのトラブルが起きています。たとえば、インドではアジアゾウが畑を荒らし米その他の作物を食べてしまったり、トラがウシやヤギなどの家畜をおそい、それに怒った人々がゾウやトラを密猟するという事件が度々起こります。ときには、人間がゾウやトラにおそわれて命を落とすこともあります。
 日本でも、シカが植林したスギやヒノキの木の皮を食べて木材として役に立たなくしてしまったり、イノシシが畑を荒らしています。ニホンザルが果樹園を荒らしたり、民家に入り込んだりします。クマ(北海道にヒグマ、本州、四国、九州にツキノワグマ)は怖いというイメージがあり、実際に強力な前足と牙をもっています。人間との出会い頭でクマもおどろき、身を守るために人間をおそうことがあります。畑の収穫にたよって生きている農家や林業家からすれば、深刻な事態です。また、近年は田園地帯の中でももっぱら居住域となっている場所にまでクマが出没する事例が増えていますが、そのような地域では出没時期の日常生活も不安なものとなります。一方、動物たちも人間から恐れられ、憎まれ、あげくのはてに殺されてしまいます。2006年には、記録に残る中ではもっとも多い、4300頭以上のツキノワグマが殺されました。2010年にも3000頭以上が殺されています。このような問題はどう解決していけばよいのでしょうか。
 これらの野生動物が畑に入り込まないような工夫として、電気の流れるフェンスを立てたり、動物がやってきそうだという情報を早めに知らせて農家の人たちに警戒してもらうというような取組みがされています。作物の種類、場所、方法などを変更した方がよい場合もあるでしょう。 人をおそったり、町中まで出てきてしまったクマを殺さなければならないこともあります。
 しかし、これらの方法は必要なことではありますが、それだけでは問題はいつまでたっても、なくなりません。そもそも、どうしてこのような問題が起きたかを考える必要があるのです。
 もともと、野生生物の暮らす場所が広がっていた自然地域を、人間が侵略しました。くらし場所(生息地)は切れ切れになり、いくつかの小さな島のようになりました。その回りには田園地帯が広がっています。保護地域としてある程度の場所が守られてはいますが、それは野生動物のくらし場所のすべてではありませんし、広さも十分でないことが多いのです。 切れ切れになってしまった生息地から生息地に移動しようとすると、そこには田畑や牧場があります。畑にはおいしく、栄養の高い作物が実っています。野生のシカのように素早く逃げることのできない家畜がいます。そこで、手を出してしまったトラは人間から憎まれ、殺されます。
 このようなことを避けるには、人間が土地の使い方(土地利用)をもっと考えなければなりません。まず、保護地域の回りをぐるりと囲む場所を、緩衝帯(かんしょうたい)(バッファー・ゾーン)とすることです。バッファー・ゾーンは、人間の利用を環境に対する影響が小さいものに抑える場所です。野生動物がこの場所に顔を出すことはありますが、その際、人間が独占する場所が近いのだとわからせ、バッファー・ゾーンの外側にある田園地帯までは出てこないようにするのです。 日本の場合は、農村と山(「奥山」ということがあります)の間に、人が手入れする雑木林(里山)が広がっていました。よく手入れされている時代の里山は見通しがよいので、クマもそこで作業する人間を見つけ、おそれて山に戻っていったのでしょう。今は、里山が荒れ放題になっているので、クマにとっては山と変わらないような環境になりつつあります。クマからすれば、山を出たらいきなり人里だったという状態なのでしょう。そこで、今一度緩衝帯の役割を果たすべく、里山の手入れが必要といわれています。
 バッファー・ゾーンの奥にある本来の生息地である自然地域は、相当せまくなってしまっていることが多いのが現実です。そこで、保護地域をもっと広くすることが重要です。しかし、それが難しい場合も多いでしょう。今ある保護地域の回りに緩衝帯を整備するだけでせいいっぱいかもしれません。しかし、田畑の間に狭くても森が残っていることがあります。それが、ベルトのように、野生動物の住む森と森をつないでいたとしたら、それが動物にとって重要な「通り道」になっているかもしれません。小さな島のようになってしまったくらし場所でも、それらがつながっていれば、オスとメスが出会い繁殖できる可能性も高くなりますし、ある場所で山火事が起きたり、洪水におそわれたりしたとき、人間の利用する田畑や村に逃げ込んだりせず、この通り道を使って、別の生息地まで移動できます。このようにそこで生活し子どもを育てられるようなくらし場所とくらし場所をつなぐ通り道を「コリドー(corridor)」と呼んでいます。 人間が、田畑を整備しよう、道路やダムを造ろう、住宅地を造成しようというとき、野生動物のコリドーを残し、そこを守り続けることがとても重要です。

 JTEFは、インドでトラやゾウの保全のため、現地のパートナー(インドのNGO)に協力して、コリドーを確保するプロジェクトを行なっています。

(坂元雅行)


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