ブログ:シリーズ・日本の象牙市場閉鎖 第1回:象牙取引問題と、国際社会による対処の経過

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■急減するアフリカゾウ
 地上最大の野生動物であるアフリカゾウの生息数が、急激に減少している。サバンナに生息するアフリカゾウは、2010から2014年の間に年平均2万7700頭が密猟され、同じ速度で個体数減少が続けば、2014年時点で35万頭 と推定された個体数は、9年後(2023年)には半減すると予測された 。一方、中央アフリカおよびごく一部の西アフリカの熱帯林に生息するアフリカゾウ(マルミミゾウ)は、個体数が2002から2012年の10年間に個体数が63.7%減少したと推定されている。この四半世紀におけるアフリカ大陸のゾウの状態は現在最悪の状態といえ、2015年時点で41万5000頭とされたその個体数は、現在も減少の一途をたどっている。

■「象牙取引問題」とは
「象牙取引問題」とは、象牙の需要のために、陸上最大の動物であるゾウ(アジアゾウElephas maximusおよびアフリカゾウLoxodonta Africanaの2種。アフリカの熱帯林に生息するマルミミゾウをアフリカゾウと別種Loxodonta cyclotisとする意見もある。)の密猟が助長され、その絶滅のおそれを生じさせ、又は高めることをいう。「象牙」とは、ゾウ類の門歯である。アフリカゾウにはオスメスとも、アジアゾウではオスゾウの一部のみ口外に大きく突出した象牙を持つ。
 象牙取引問題は、ゾウがアジアとアフリカのみに生息しているにもかかわらず、1970年代以降世界を巻き込んで議論され、対策努力が重ねられてきたテーマである。ゾウ類の保全は、アジアとアフリカの自然環境保全を代表し、象徴する。その考え方を前提に次の3点に着眼したとき、象牙取引問題は、日本が関連する地球環境問題の中でも最重要テーマの一つとして、いっそうの政策的・社会的関心が向けられなければならないことが明らかとなる。
① 近現代における人間社会の持つ自然を改変する力の加速度的な増強と、それが負の結果をもたらしてきた軌跡を反映していること、
② グローバルな国際取引が引き起こす種の絶滅危機に対する、「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」(以下”CITES”または「ワシントン条約」という。)を通じた国際社会の取組みの創始的な事例であり、かつ今なお重要課題となっていること、
③ 日本の環境保全政策が、特に国際的な文脈において、産業振興政策にほぼ一方的に適応を強いられている現状を端的に示していること。

■現代の象牙取引問題と、国際社会による対処の経過
象牙取引の歴史は古く、アジアでは5000年前から、アフリカゾウの象牙は、1000年前にはフェニキア人が大々的に取引していた。19世紀後半には、東アフリカ沿岸のゾウはとりつくされ、内陸部に奴隷を中心としたキャラバンが送り込まれた。象牙は、それを収穫した奴隷ごと欧米、イスラム諸国へ売られ、やがては極東へたどり着く。一方、象牙取引が現代社会の「問題」として認識されるようになってからも、およそ半世紀が経つ。その間の国際社会による象牙取引問題への対処を以下に概観するが、筆者は、この半世紀の経過を大きく4つの時期に区分できると考えている。

【第一次密猟危機から象牙の国際取引禁止までの時期】
1970年代後半から、アフリカでは象牙目的の密猟が激化、自動小銃等の武器の近代化によってゾウが群ごと一掃されるようになる。アフリカ大陸から大量の象牙が輸出されていったが、その最大の消費国が日本であった。日本の象牙輸入は1960年代から右肩上がりに増えていったが、1970年代の伸びは特に急激で年平均255トン、1980年代には年平均270トン、1983年に続き1984年には、単年で470トン以上の未加工牙が輸入された。ところが、まさにその年、日本がCITES批准(1980年)後も条約の求める輸出許可書なしに未加工象牙の輸入を許可していたことが明るみになり、CITES地域セミナーの場で非難決議を受ける。輸入許可手続を改めた翌年以降、輸入量は大きく減少する。政府の条約不遵守が、結果として大量の象牙輸入を支えていたのである。日本が象牙取引禁止前の1979年から1988年までの間、正規に(前記の輸出許可書なしで輸入を認めていた場合も含む。)輸入した未加工象牙は約2,727トンにのぼったが、この量は、同期間にアフリカ大陸から輸出された量(7,156トン)の約40%、ゾウの数にして12万頭前後に相当する。この期間は、まさにアフリカ大陸でゾウが象牙目的で大量殺戮されていた時期と重なる。日本では当時、印鑑登録制度の存在に目を付けたビジネスモデルが登場、「象は聖獣である。世界最大の聖獣の牙こそ聖印である」などという宣伝文句で、通信販売、デパートにおける対面販売、テレビショッピング、訪問販売など多様な販路・販売方法を通じて象牙印が販売され、1972年頃には象牙印商法が全国に浸透するに至っていた。当時輸入された未加工牙のうち、6割前後がハンコの製造に消費されていたのである。
大量な象牙の国際取引と、アフリカの現地から寄せられるゾウの大規模殺戮の警告に対応を迫られたCITESが専門家らに実態把握を求めた結果、1979年から1988年の間に、134万頭のアフリカゾウが62万頭5千頭に半減したことが判明した。世界中に広がった「アフリカゾウ絶滅へ」、という危機感の中、1989年開催のCITES CoP7(ローザンヌ)で、象牙の国際取引が禁止されるに至った。

【日本が、象牙国際取引再開をCITESへ求めることによって国際象牙市場を維持し、後半には中国象牙市場の台頭を招くこととなった時期】
その後の日本は、国内象牙製造業が必要とする原材料調達を再開すべく、象牙輸出を求める南部アフリカ諸国と協力し、象牙の国際取引を解禁せんと他国にはたらきかけてきた。1997年開催のCITES CoP10では、日本らによる外交戦術が功を奏し、南部アフリカ3か国から日本を唯一の輸入国とする条件付1回限定輸出入が可決、1999年に日本へ50トンの象牙が輸出されている。2002年のCITES CoP12では2度目の1回限定輸入が可決され、2008年に101トンが輸出され、日本はうち39トンを2009年に輸入している。残り62トンは中国が輸入した。中国は、2000年代の後半、その経済成長を背景に、中国が日本をしのぐ最大の象牙消費大国に成長、違法象牙の主要な行き先ともなっていたのである。この中国の象牙需要が、後に明るみになる第二次密猟危機を引き起こした。日本は、眠れる獅子=中国を目覚めさせるまで、国際的な象牙市場を温存する役割を演じてきたということになる。

【第二次密猟危機の進行が明るみになったことから、国際世論が象牙国際取引の一部再開容認の雰囲気から国際取引禁止継続に転じ、さらに各国の国内象牙市場閉鎖への動きが生じた時期】
2013年、CITES事務局・国連環境計画らにより、年2万頭規模のアフリカゾウの象牙目的密猟が進行中であるという警告が発せられる。米国オバマ大統領は、同年、組織犯罪による野生生物の違法取引と戦うための諸措置を盛り込んだ大統領令に署名、2015年には、習近平国家主席との間で、米中両国が国内象牙市場閉鎖を実行することの合意を取り付ける。2016年、米国の「野生生物の違法取引撲滅のための米国戦略」報告書では、象牙の違法取引を撲滅し需要を減少させるためには、合法市場を通じたロンダリング(洗浄化)を防止することが必要だとし、中国と合意した国内象牙市場の閉鎖を世界各国の象牙市場に広げていくことの必要性を強調した。米国自身は、2016年に市場閉鎖のための大統領令を施行している。一方、南部以外のアフリカ諸国も、2015年、CITESにおける政策調整を図るために組織された「アフリカゾウ連合」(2019年現在32か国が加盟)のコトヌー(ベナン)会合で「象牙の国内取引を禁止する法制度を制定、執行し、世界中の国内象牙市場を閉鎖する提案については、それが国際レベルであるか、国内レベルであるかを問わず支持する」との宣言を採択した。こうした動きの中、レッドリストの作成、CITESにおける科学的見地からの助言などで知られる国際自然保護連合(IUCN)は、2016年、その総会で世界の象牙市場閉鎖勧告を採択、さらに同年、アフリカゾウの密猟は2006年には激化しており、2015年までの9年間に11万1千頭減少し、個体数が41万5000頭にまで落ち込んでいることを示す報告書を公表する。
そして2016年9~10月に開催されたCITES CoP17では、9年間にわたって検討してきた象牙の国際取引再開の意思決定を行う手順に関する議案の審議を凍結したばかりか、「密猟または違法取引の一因となる」すべての国の国内象牙市場を、「何らかの品目の狭い例外」を除き、「緊急に」閉鎖するための決議10.10の改正案(アフリカ諸国と米国が提案)を、全会一致で採択した。この年の末には、中国が市場閉鎖を実施している。

【不可逆の国際潮流として、国内象牙市場閉鎖が進む時期】
2018年、香港、イギリスで市場閉鎖法案可決、台湾、シンガポールも相次いで市場閉鎖を宣言した。そして、2019年8月のCITES CoP18(ジュネーブ)には、市場閉鎖決議案の強化が提案された。
(坂元雅行 トラ・ゾウ保護基金事務局長)

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