ブログ:限界領域での人とゾウとの共存をはかる
https://www.jtef.jp/wp/wp-content/uploads/2024/06/b2ba24e64a0dc23c73e358a15b30ecfe.jpg 602 598 Japan Tiger Elephant Organization Japan Tiger Elephant Organization https://www.jtef.jp/wp/wp-content/uploads/2024/06/b2ba24e64a0dc23c73e358a15b30ecfe.jpg先住民の移民村と隣接するアララム野生生物保護区
アララム野生生物保護区の概要
アララム野生生物保護区は、ブラーマギリ野生生物保護区(カルナータカ州)と北側で接し、南東部でコッティユル野生生物保護区(ケララ州ワヤナード県)に接する。
アララム野生生物保護区、それと接するコッティユル野生生物保護区の全景。南側にCRPクンナ、ボーイズタウンを通るコッティユル・ペリヤ ゾウ コリドーがコッティユル野生生物保護区につながっていることもわかる。また、そこから北東に進めばシルネリ・クダラコーテ ゾウ コリドーを経てワヤナード野生生物保護区(ソルベッティ・レンジ)に至る。
面積55㎢の小さなアララムWLSであるが、植生をみると、東半分が常緑樹林、その西側の多くが半常緑樹林で、一部がチーク植林地となっている。西南部は湿潤落葉樹林である。常緑樹でおおわれる東半分がコアエリアに、西半分のうち外周部が観光ゾーンに、内側がバッファーゾーンに指定されている。地形を見ると(この一帯がすべて西ガーツ山地に含まれているのだが)、東側の標高がもっとも高く、西に向かって下がっていく。湿潤落葉樹林帯はほぼ平地である。湿潤落葉樹林帯はゾウにとって最も好適な森林生息地であるが、そこが後述する先住民の移民村に接する位置にある。
アララム野生生物保護区のゾーニング(左)、管理の単位であるセクション区分(右)。アララム野生生物保護区ビジターセンター内の展示より。
アララムWLSはチョウ類の季節移動で良く知られている。毎年10~12月の北東モンスーンの季節の訪れとともに、平地部から山地部へと移動する。冬から夏にかけて山地部で繁殖すると、その子孫が南西モンスーンの季節が始まる前である4月までに、平地部へと移動する。この季節移動は、激しいモンスーンによってその生活史を断またげられるのを避けるためと言われる 。
アララム農園・移民村成立の歴史
アララムWLSの一帯は、英国植民地支配の時代に、マイソール王国およびイギリス東インド会社による侵略・支配に抵抗する反乱を主導したパザッシ・ラージャPazhassi Raja追放の地といわれている 。肥沃な土壌、森林、草地、水のあるアララムは、もともとこの地に移動してきたPaniya族とKurichya族の領地とされていたが、1950~1960には、ケララ州各地から大規模な非先住民が雇用を求めて大量の移民が生じる。1970~2004年は、インド政府が農園の所有権を保有することになる 。1971年、中部州農園(現アララム農園。約50㎢)が、当時のソ連の助けを借りて現在の野生生物保護区と隣接する西側に開設された 。この時期、先住民族の600近い世帯が農園で働いており、カシューナッツ、ココア、ゴム、ココヤシが主要な栽培作物であった 。
1990年代までには農園は極めて不採算となり、その後飢饉のために多くの労働者が死亡することとなった。2000~2001年にはケララ州全体で数百名の先住民が餓死していたのである。そこで先住民コミュニティーはケララ州行政府および州首相公邸前で48日間のストライキを決行した。多数のストライキ、ムサンガMuthangaでの移民先の土地を求める闘争を受けて、ケララ政府はついに先住民の要求を受け入れ、移民先の土地を見つけることに合意した。こうして2004年、ケララ政府はアララム農園を42 クロア(8億4000万円)でインド政府から買い取った。ところが、州政府が迅速に土地分配と移民を進めなかったため、新たな土地を求める要求する運動が起き、2006年、何千世帯もの土地を持たない先住民が農園の土地に移動してきた。州政府は今度こそ農園の土地を分配して、その使用権原を人々に認めることとし、2006年、TRDM (Tribal Resettlement and Development Mission) がアララムで開始され、土地の分配と移民が始まった 。
(1)農園としてのこされた部分、(2)移民村として配分された部分、(3)野生生物保護区。これら(1)~(3)のエリアの境界はアララム川に沿っている。
すべての土地は、州の先住民局が移住のために取得したものだったが、それは農園部と移民村部に2分された。農園は先住民移民の福祉向上のために維持される建前である 。ところが、農園部には電気、道路、飲料水、市場などの基本的インフラが整っていたのに対し、移民村にはそれがなかった(農園の所有権は先住民局に帰属するにもかかわらず、農園は同局の支配をうけない公社として登記されていた)。この計画の初期段階では、多くの先住民世帯が喜んでアララムに移住した。しかし、貧相なインフラ施設と適切な雇用機会の欠如のために、先住民は移民の意欲を失うようになった。多くの人々は、アララムにおける適切な施設と行政サービス欠如のために将来世代のための発展がおぼつかないことを憂いている。例えば、教育機会と医療サービスの欠如は子供たちに影響を及ぼしており、先住民社会に悪循環をもたらしている。さらに、移民村と野生生物保護区は隣接しているため、野生動物とのコンフリクト発生のリスクがあった。ところが、先住民のリーダーや学識経験者からの激しい批判にもかかわらず、森林局は、その隣接部を適切に仕切ることを怠っていた。保護区に隣接する移民村の立地がもたらす野生動物とのコンフリクトがもたらすリスクも、アララムへの移民の意欲をそいでいたのである 。先住民たちにとっての最重要課題は、移民前では土地がないことであった。これに対し、移民後の最重要課題には、57.5 % の世帯が、野生動物から自らを適切に保護する手段を欠いていることをあげている。実際、先住民のために土地が取得されるまでは、アララム農園は12kmに渡る電気柵で野生生物保護区から仕切られ、野生動物とのコンフリクトから一定程度守られていた。ところが、土地取得後は、電気柵は除去されてしまっていた。その結果、2006~ 2011年の間に9人の先住民がゾウに殺され、遺族が取り残されることになった。この先住民移民後に電気柵を廃止したことに対して、次のような抗議の声が上がった。「アララムの先住民の所帯は、野生動物の生息地に近接しているため、動物が私たちの平和な生活に対する大きな脅威となっている。ある女性(43歳)は、自分の小屋で就寝している際にゾウに殺された。しかし、誰もこの事件をとりあげようとしない。この地ではありふれた出来事だからである。ここではいつ何時でも動物の攻撃を受けることがあると考えられている。彼女の遺体がアララム当局に届けられた際の光景は劇的だった。遺体は政治的戦術のために4時間も人目にさらされることになったのである。地元の政治家は、彼女の遺体をコンフリクトに対する解決策が示されるまで火葬してはならない、と主張した。そしてついに、毎日24時間、先住民を野生動物からの攻撃から守る任務に服する2名の森林警備官が指名されることになった。毎日、24時間、広大なエリアでゾウを追い払う者が指名されれば、コンフリクトは減少するだろうというのである。このようなことは我々を馬鹿にする、政治的な宣伝に過ぎない。きわめて不誠実で、当てにならない。」2014年7月6~9日には、ケララ州行政府前で住民による激しい抗議デモが起きた。州政府は鉄柵の設置に合意したが、(2019年時点で)侵入(出)防止壁ないし柵の設置はいまだ不徹底であったという 。
2021年には、アララム農園15㎢を観光農園プロジェクトを立ち上げる構想に対して、先住民の権利を訴える団体による抗議運動が起きた。未だ土地を得ていない移民もおり、農園部分もそれらの移民に分配されるべきだと主張されている。2007年以降、1万1000人の先住民がカヌル県に土地取得の申請を出しており、さらにワヤナード県に住む先住民もアララム農園の土地を取得する権利があるというのである 。
現在のアララム移民村とアララム農園におけるゾウとのコンフリクトへの対策
2月23~24日、アララム野生生物保護区を訪ねた。下図のとおり、ゾウは近年、アララム農園、移民村に頻繁に現れているが、アララム農園の境界西側でも同様である。ゾウはアララム農園の西側境界に沿って流れるアララム川を渡り、東西を行き来しているのであろう。しかし、アララム農園はゾウの通り道になっているだけではない。近年では数十頭のゾウがアララム農園内に継続的に滞在し、そこで繁殖までしているという。農園は移民村の先住民たちが利用することも許されているので、カシューナッツ収穫などの際、ゾウと出くわすリスクがある。そしてそれ以上に、ゾウが長期滞在する野生生物保護区および農園に挟まれている移民村の内部でも事故が起きるリスクがますます高くなっていることは深刻といえる。
過去指摘され続けてきた、野生生物保護区から移民村へのゾウの侵入防止のための障壁はどうなっているのか。下図のとおり、南側は侵入防止壁と垂下り式電気柵が併用されていることになっている。
現場で確認したところ、道路を挟んで保護区側にコンクリート壁が、移民村側に垂下り式電気柵が設置されていた。
橙丸印は、コンククリート壁・垂下り式電気柵撮影地点
一時よりは対策は進んでいるようである。また、前述のように毎日24時間体制かどうかはわからないが、移民村と農園をパトロールする森林局の車とすれ違った。
ただし、既に述べたように、一部のゾウの群れが農園に長期滞在ないし定住するようになれば、そこを拠点にしてゾウが移民村との間を行ったり来たりすることになる。その場合、野生生物保護区を仕切っても対策にはならない。状況は新たな局面を迎えている。
アララム農園・移民村のコンフリクトの問題は、土地利用が全く無計画に行われた例の典型と言える。もともとゾウがそこを通過し、また滞在する形で現在のアララム農園・移民村・野生生物保護区をひろく東西方向に使っていたことは明らかである。そして、東側(WLSの東部)はゾウにとって採食場所としては相対的に好適性が低い常緑樹林帯、西側(WLSの西南部)はそれが高い湿潤落葉樹林となっており、現在の農園・移民村の位置する場所はゾウの採食場所としてもともと重要だったと思われる。それが農園に改変されれば一層栄養価の高い食物が得られるという意味で好適性はなお増す。ゾウはうっそうとした常緑樹林帯をどちらかというと隠れ家とし、西側に採食に現れることが多かったのかもしれない。それにもかかわらず、その中間に移民村を配置してしまったのであるから、厳しいコンフリクトが発生するのは当然だったと言える。 アララム農園を運営する公社も森林局も、ゾウが農園を利用し、定住するようになることはもはやどうしようもないと考えているようである。もともと条件が良くなかった移民村でもあり、新たな移転先が確保されることが先住民の人々にとっても最善の措置かもしれないが、そのような代替地が確保されるのかどうかわからないし、それまでは移民村内のそれぞれの住まいと生活のための耕作地単位で、ゾウの侵入を防止する措置をとっていくしかないように思われる。そのためには電柵などのハードだけでなく、森林局によるこまめな巡回と相談、助言が必要とされよう。
アララム野生生物保護区周辺部におけるゾウと地域住民の間のコンフリクト緩和のためのJTEFによる2022~2023年支援
今回、アララム野生生物保護区の森林局スタッフ各自に対して、保護区内および周辺でのパトロールを充実させるべく、その際に携帯する装備の入ったザックを提供した。森林局と移民村の住民らの間のコミュニケーションが改善され、厳しい状況の中にも人々とゾウとの共存が何とか保たれることが期待される。
アララム野生生物保護区ウォーデン、ビベック・メノン、JTEF理事長・事務局長が壇上に上がり、同保護区スタッフ(森林官、森林警備官、監視員ら)に向けて挨拶。その後、装備がスタッフに送られた。