ブログ:シリーズ・アジアゾウの歩んだ苦難の道と現状 第3 回 大陸東南アジア:ミャンマーにおけるゾウの苦難

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大陸東南アジアには、1,000頭以上のゾウが生息している国が2つある。それが、タイとミャンマーである。ここではミャンマーのゾウを取り上げるのだが、その理由は2つある。一つは、ミャンマーがアジアゾウの進化史上、重要な位置を占めていることである。かつてアジアゾウの直接の先祖となったエレファス属のゾウがアジアにやってきた後、大きく二手に分かれ、時を経て遺伝的に異なる2系統が生じた。その後、気候が寒冷化、温暖化を繰り返すたびに、ゾウは南進、北進を繰り返し、2つに分かれた系統がある土地で再会し、そこからまた別れていった。その地がミャンマーなのである。その意味で、この地はアジアゾウの「進化のるつぼ」と言われている。ミャンマーのゾウに注目するもう一つの理由は、アジア地域の中でもっとも森林がよく残されている国でありながら、現在急速に失われつつあり、同時にゾウの密猟が蔓延しているため、ゾウの生息が非常に危ぶまれていることにある。

ビルマ(1989年にミャンマーへ改名)では、12世紀以前から、地元の支配者層が、インドやスリランカの支配者層との間で、ゾウを盛んに取引していた。白象で名をなした王国では、ゾウが定期的に捕獲され、16世紀にインド西岸の3つの都市に輸出されていたことが記録されている。その王は、戦闘用のゾウを5,000頭所有しており、当時訪問した英国人は、ビルマのゾウはセイロンゾウと比べて「怪物のように大きい」と驚いたそうである。

19世紀前半に起きたビルマ・英国間の一連の戦争は、後者の前者に対する支配を徐々に強める結果をもたらし、1886年にはビルマが大英帝国に併合される。この植民地支配は、ビルマのゾウにも新たな脅威を及ぼし始める。海洋国家である英国にとって、造船の拡充は絶対条件であり、インドおよびビルマの森林から大量の木材が本国およびボンベイ(現:ムンバイ)の造船所に供給されていった。また、インドの鉄道の開設に伴う線路の枕木用として、あるいはインドの夏季の灼熱から一時逃れるための避暑地の別荘建設用材として、膨大な量のチーク材等が求められた。ゾウは、インドとビルマで、英国人による森林施業に不可欠とされたのである。こうして「ティンバー(材木)・エレファント」が誕生した。ビルマにおける広大なチーク林活用のためのゾウの調達は、「ボンベイ・ビルマ商社(BBTC)」に委託されていた。この会社は1863年にインドで設立され、間もなくビルマにおけるチーク材生産を牽引した。20世紀に入る時点では、BBTCの保有するゾウは2,000 – 3,000頭だったが、ほぼ半世紀後には6,000 – 7,000頭に膨れ上がり、これとは別に、4,000頭の亜成獣も所有されていたようである。これら木材業界所有のもの以外に、当時何頭のゾウが飼育下に置かれたのかについては推定すらされていない。実際、1910 – 1950年の間、少なくとも12,080頭が捕獲され、それ以外に3,370頭のゾウが死亡したことが記録されている。

チーク材(ミャンマーに近い北東インド・アッサム州にて。)

第二次世界大戦の勃発とその後の日本の参戦、東南アジアへの進出は、ビルマのゾウに大きな影響をもたらすことになる。ビルマの国土の多くは、山と深い熱帯林から成る起伏の激しい土地だったため、移動、運搬にはゾウの力が大いに必要とされた。

ゾウは英国軍のために、忍耐強く木材をけん引し、兵士、難民、食料を運び、無数の川に橋を架ける作業に従事した。日本のビルマへ急速に侵攻を受けた際、英国は、兵士たちをその家族と共に避難させたが、越えられそうもない山岳の障壁を横断できたのはゾウのおかげだったと感謝したという話は有名である。一方の日本軍も、インド国境に迫り、またインパール(現インド マニプル州の州都)に侵攻する際には相当な数のゾウの群を管理しており、1944年に350頭のゾウの隊列と共に大河チンドウィン川を渡ろうとしたことも記録されている。ちなみに、この頃ある英国人が日本人のゾウに対する特殊な関心の示し方について記録している。象牙の根元から先端に向かってある程度のところまでは、その中心を神経が通っているのだが、牙のあるゾウのほとんどについて、神経の通っているギリギリのところで象牙を切断していたというのである。日本では、明治時代初期に象牙加工が産業化していたが、第二次大戦中はぜいたくな奢侈品として象牙の輸入が禁止されていた。生きて内地に持ち帰ることができれば高値で売れると思ったのだろうか。いずれにしても、浅ましい話である。

こうして英日両軍に酷使されてきたゾウたちだが、その挙句が、日本人に利用されることを阻止するための英国空軍によるゾウをターゲットにしての空爆だった。1度の空爆だけで40頭が殺された例もある。

この戦争の過程で実際に何頭のゾウが殺されたのかは不明であるが、数千頭にのぼることは確かである。戦前のビルマには、6,500頭の成獣が使役されていたと推定されているが、1945年の戦争終結時まで生存したゾウは2,500頭に過ぎなかった。野生ゾウにも、もちろん相当の被害があったに違いない。ビルマのゾウは、世界大戦の一幕となった日英間の戦闘の直接的な犠牲者だったのである。

 

ビルマは、第二次大戦が終わった3年後に独立しているが、過去長期にわたる伐採にもかかわらず、未だに広大な森林を確保していた。その後の1960年代以来閉鎖的な経済政策が採られていた時代、1988年に成立した軍事政権による人権侵害のために欧米諸国から厳しい経済制裁を受け続けていた時代を通じ、ビルマ(ミャンマー)は、時が止まったかのような低開発状態に置かれていた。広大な地域には、政情不安のために政府の統制もあまり及ばなかった。そのような時期、森林伐採を禁止した隣国タイやインドとは対照的に、ティンバー・エレファントを使っての木材伐採は、国家財政を支える重要な財源であり続けていた。

独立から1990年代初期まで、ミャンマーは伐採ゾウの個体群を維持するため、相当量の野生ゾウを生け捕りにしてきた。その数は、1950 – 1970年の間に、2,940頭すなわち年平均147頭にものぼる。公式統計によれば1970 – 1982年にはわずかに少ない年平均130頭、1982 – 1983年には急速に減少し平均44頭が、1993 – 1994年には平均13頭が、その翌年にはわずか2頭が捕獲されただけだった。このことは、野生の個体数が急速に減少したため、新たな生け捕りが極端に難しくなったことを示している。政府は、野生生物保全に関する法律を1994年に制定しゾウを「完全保護」種に指定、1995年には伐採事業のための野生ゾウの捕獲のモラトリアムを定めた。ところが、生け捕りモラトリアム以降も、約250頭の生きたゾウがタイでの観光利用のために生け捕られ、10年にわたって違法に輸出されていたことがその後露見する。

ミャンマーでの生きたゾウの生け捕り、違法取引は今も大きな問題である。さらに、近年では違うタイプの密猟も激しくなっている。全身の皮がはぎとられ、足が切断され、または全身がばらされた密猟死体が頻繁にみられるようになったのである。ゾウを殺す方法としては、除草剤を詰めた吹き矢を使うことが多いようである。この密猟は、皮や肉を目的としたもので、皮や脚は、粉にひいて、皮膚の感染症や腸の病気治療に用いる伝統薬の原材料にされる。また、皮下層は、硬化させてから磨き上げられ、腕輪のビーズに加工される。食用の肉としては、主に鼻と性器が消費されるようである。このような製品は、ミャンマーと中国の国境を越えて違法に取引されている。2015年から2017年にかけてミャンマーの中央部の森林で行われた調査は、研究者が装着した電波発信機付のゾウが1年以内に7頭密猟されたことを明らかにした。うち5頭は皮目的などで殺され、2頭は生け捕られて連れ去られている。これらの7頭を含め、2年に満たない期間に、19頭のゾウがすべて、わずか35㎢の範囲で密猟されたという。

一方、ゾウの生息地の状況を見ると、2002 – 2014年におけるミャンマーの森林の変化を衛生画像から解析した研究によると、伐採の継続にもかかわらず、国土の63%が依然として森林で覆われていた。ただし、樹幹が80%以上閉じている原生的な森林に限っていえば、38%にとどまる。このような原生林が集中しているのは、北東インドと接する北部の森林帯と、マレー半島の根元にあってタイと国境を接する南部の森林帯で、かつてゾウが大量に生け捕られ、今も密猟が続く場所でもある。

それ以外にゾウが生息する中央部に残る森林は既に劣化したものとなっている。特に問題なのは、原生林が、それ以外の(より劣化した)森林よりも急速に減少しつつあることである。森林喪失が加速している理由は、過去から続く森林の商業伐採に加え、鉱山開発(違法な露天掘りが多い)、道路、パイプラインなどのインフラ開発、ゴム、バナナ、サトウキビその他の換金作物のプランテーション(大農園)、アブラヤシ・プランテーション(南部森林帯に限る)、の急速な進行である。その背景には、2011年の民政移管によって生じた、2012年以降の安定した経済成長がある。

科学的な調査に基づく推定とは言い難いものの、ミャンマーのゾウの個体数は、現在2000 -4000頭と推測されている。実際にそれだけのゾウが生息しているとすれば、それを支えているのはアジア地域有数の森林である。しかし、それも急速に進行する経済開発によって喪失し、分断されつつある。また、森林伐採のための合法的な生け捕りはストップしたが、皮などを標的にした密猟、観光利用のために子ゾウを生け捕りにする密猟が激しさを増している。政府がこれらの問題にしっかりとした対応ができていないことは明らかである。ミャンマーのゾウの未来には暗雲が立ち込めている。

 

参照文献

  • Sukumar R., 2011, The story of Asia’s elephants, Marg Foundation, Mumbai
  • Minutes and country presentations from 13 Asian elephant range states of the 9th meeting of IUCN SSC Asian Elephant Specialist Group 25 -27 April 2018, Bangkok, Thailand
  • Bhagwat T, et al., 2017, Losing a jewel – Rapid declines in Myanmar’s intact forests from 2002-2014, PLoS ONE 12 (5) https://doi.org/10.1371/journal.pone.0176364
  • Sampson C, et al., 2018, New elephant crisis in AsiaÐEarly warning signs from Myanmar, PLoS ONE 13(3) https://doi.org/10.1371/journal.pone.0194113

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