イリオモテヤマネコ保護基金/やまねこパトロールの歴史

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2008年、私たちは、翌年のトラ・ゾウ保護基金設立に当たってトラとゾウに日本に生息するフラッグシップ種を加えた3本柱の活動を構想していました。その種をイリオモテヤマネコにしようということは、すぐに決まりました。人の手によってほとんど二次自然化されてしまった日本の国土の中で、これほど人為化の少ない、言い換えれば他と比較してかなりの原生的な自然が残されており、しかもその原生的自然環境に依存して自然な進化の道を歩んでいる稀有な哺乳類のひとつがイリオモテヤマネコだからです。

イリオモテヤマネコ保護基金を始めるにあたり、私(戸川久美)は動物作家だった父戸川幸夫(1912 – 2004)が作っていたスクラップブックを持ち出しました。新聞掲載されたヤマネコ関連の父の記事やコメントです。父たちによってイリオモテヤマネコが発見されたのが1965年ですから、このヤマネコのスクラップはその前年から始まっています。戦前の西表島はマラリアが蔓延していたジャングルでしたから、原始の姿のままでヤマネコも生き残れていたのでしょう。戦後マラリアは撲滅されましたが、父はヒルにかまれながらサソリや毒グモのいるジャングルを歩き回る厳しいヤマネコ調査を何度も試みました。今もイリオモテヤマネコが、この小さい島に行き続けてくれていることは、まだ豊かな自然が残されているということです。

イリオモテヤマネコ発見当時の新聞記事と、西表島で生け捕られ、国立科学博物館で飼育される前、一時的に戸川幸夫宅で預かられていたイリオモテヤマネコ。

それから50年余り。その間、北岸道路(県道)が開通し、さらに最近直線か拡幅がなされて、より立派な道路になりました。その一方、交通事故で死んでしまうネコも増えています。また、以前では考えられないことですが、毎年30万人以上の観光客が島を訪れるようになりました。山から海へ放射状に注ぎ込むいくつもの小さな河川に沿い「エコツアー」の名の下に多くの人が入り込み過ぎると、壊れやすい生態系が損なわれてしまいます。わずか100頭のイリオモテヤマネコがここだけに生息している美しい島、西表島。都会とは違う不便さが楽しめる美しい島、西表島。目先の利益のために西表島の自然が壊されることの無いよう、自然と共存する地元の人たちが潤い喜べる島を目指す取組を、イリオモテヤマネコ保護基金もお手伝いをしていきたいと考えました。

2009年、私たちは、「イリオモテヤマネコ生息地保全プロジェクト」を開始しました。その重点目標は、西表島「低地部」の生息地を保全することにありました。そこは、イリオモテヤマネコが高密度に生息する地域であるにもかかわらず、内陸部を中心に指定されている国立公園の域外とされ(当時)、各種開発の対象となりやすいためです。

具体的な活動として、

・西表島低地部の土地利用に際して生息地保全のために配慮すべきことを網羅的に調査し、関係機関へ提言する報告書を作成(2011年1月公表)。

・その後、報告書で報告した土地利用計画が顕在化したり、新たな土地利用構想が起きた際のケースごとの対応。すなわち、関係行政機関にその土地のヤマネコによる利用実態について情報提供し、ヤマネコへの配慮をした開発のあり方をきめ細かに提言する活動です。

この活動は、イリオモテヤマネコの研究者から成る「イリオモテヤマネコ生息地保全調査委員会」の協力を得ながら、事務局が担っていました。東京から度々、那覇、石垣、西表島を訪ね、関係行政機関(竹富町、沖縄県、環境省)と意見交換・交渉を行いました。

2010年頃に具体化の構想が持ち上がり2012年に事業として採択された水田の土地改良事業では、予定地全体を造成する予定でしたが、5年間、事業者の沖縄県や竹富町に働きかけた結果、ヤマネコが滞在場所や海岸林への移動に使っているアダン林の保存が決定するという成果を出すことができました。

2011年の夏より、週に3回程度、ヤマネコの目撃情報を頭におき、ヤマネコが出没する夜間(19:30-22:30)のパトロールを開始しました。運転者に制限速度を守り、路上のヤマネコへの注意喚起を行うことが目的です。体制としては、意識が特に高く、指導力もある地元の方に現地マネージャーをお願いし、チームの人選・管理をゆだね、活動実施のための環境整備(環境省・沖縄県・竹富町との調整(日常的な情報交換を含め、緊密な協力関係を構築)、ヤマネコ専門家へ助言を求めること、広報、財源確保等)は東京の事務局が行っていました。

この活動を開始した直接のきっかけは2010年に過去最多タイの5件の交通事故が記録されたことでした。2000年代に入り、島唯一の県道上での交通事故が大きく増加し始めていましたが、増加の傾向がこのまま定着、さらには悪化していくだろうという嫌な予感が関係者の間にはありました。その主要な原因は、交通量の増加と道路整備(拡幅・直線化)による車両の高速化です。道路整備が構造上のハード対策(道路下へのアンダーパス=カルバートを用いた小トンネルの設置等)がとられているにもかかわらず事故を抑制できていなかったのです。ハード対策だけで駄目なら、運転者の夜間運行速度に関する注意喚起をもっと強化する必要があると考えたのは当然でした。このような注意喚起の努力は、これまでも行政(環境省)によっても行われていましたが、定期的な夜間パトロールはありませんでしたし、いつまでも行政主体の活動のみが主導する状況では、住民による内発的な動きは育成されません。そこで、JTEFでは、地域におけるヤマネコの交通事故防止の自律的取り組みへのきっかけして、地域住民による現場活動を開始することにしました。

やまねこパトロール活動を通じて地域への接点づくりが進み始めた段階で、環境教育および島の独自性の象徴=島の誇りを基盤にした地域教育という観点から、島の学校教育にヤマネコの保全を組み込むことを企画しました。パトロール活動を担うメンバーが保護者となっている学校へ接触、2012年に朝礼時の短い講話を数校で行い、2013年には1校で正規授業枠での出張授業が行えるようになりました。この実績を基に、竹富町教育委員会と協議し、2014~2016年の3年計画による竹富島全小中学校8校での出張授業「ヤマネコのいるくらし授業」が行われました。

野生生物の保全は、その生息地内またはそれと隣接して人間活動が展開されている限り、地域住民が内発的・自律的に保全にかかわるか否かが、その成功の度合いを大きく左右します。JTEFは、地元住民による夜間パトロールや学校授業を行いながら、ずっと地元の活動拠点設置のタイミングを模索していました。そのようなとき、「イリオモテヤマネコ発見50年」という節目が2015年に訪れます。JTEFは、この機に住民、行政を含めた関係者全員によるイリオモテヤマネコ保護への機運を高めるため、様々な50年記念企画を様々な協力を得ながら実行しました。

同時に、ヤマネコ保護への関心を一時のお祭りに終わらせないよう、竹富町にはたらきかけ、「イリオモテヤマネコの日を定める条例」の成立を見ました。

イリオモテヤマネコ発見50周年を飾る、そして私たちにとってもっとも重要な出来事は、2016年4月15日の第1回「イリオモテヤマネコの日」に、JTEF西表島支部「やまねこパトロール」を立ち上げたことです。この支部設立は、イリオモテヤマネコ保護基金開始以来の悲願でした。プレハブ造りながらオフィスも構え、西表島在住の高山雄介が支部事務局長に就任しました。