ブログ:第3回「イリオモテヤマネコの日」に、「1965 ヤマネコ発見の地」記念碑の除幕式に参加

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イリオモテヤマネコの日に、東部の南風見田の浜で、「ヤマネコ発見の地」モニュメントの除幕式が開催され、理事長の戸川が来賓に招待されました。実は、53年前、動物文学作家の戸川幸夫が島を訪れた時、当時の中学生達がこの浜で捕まえたヤマネコの全身骨格を戸川氏に提供し、それが新種記載されたイリオモテヤマネコのパラタイプ標本となったのです。

当時、中学生たちを指導した大原中学校の島袋憲一先生は、当時のことを次のように述懐されています。
「大学で教育学を熱心に勉強しなかった私は、新米教師として西表島東部にある大原中学校に赴任しました。大学での専攻は農学(畜産学)でしたので、教師として未熟で心配。でも、沖縄では「ナンクルナイサ」*と言う心があり、自信を持っての赴任ではありません。(*編集部注:「努力すればどうにかなるさ」の意味)
私の教師としての出会いは「ヤマネコ」で、以前に父からヤマネコの生息を聞かされていました。ヤマネコとの出会いは赴任の年の5月の遠足の時で、岩陰にいたヤマネコを発見した生徒がヤマネコがいると叫び、ほとんどの生徒が集まりました。みんな生きたヤマネコを見るのは初めてで大喜び。さっそくヤマネコ捕獲作戦、牛馬を捕獲する罠(?)をこしらえ、ヤマネコの捕獲に成功しました。その時、全員から拍手があがり、大喜び。しかし、残念ながらしばらくして死んでしまい、調べるとずいぶん衰弱していて身動きができなかったようです。

さっそく学校に持ち帰り、標本作成に取りかかりました。毛皮は剥ぎとりホルマリン浸にして保管し、骨格は木箱に入れ砂をかぶせて腐食を待ちました。
そんな時、幸運にもそのことを聞きつけられた戸川幸夫先生が学校においでになり、「持ち帰って標本を作りたい」との申し出があり、お譲りすることになりました。その日の午後は、全員で先生の講話を聞くことで、ずいぶんいろいろと学ぶことができました。夜は先生の宿泊先で「サバ缶」を肴にして、夜遅くまで泡盛を酌み交わしたこと、いまだに覚えています。今、思えば捕獲されたヤマネコは幸運で、西表島の自然を変えたといっても過言ではないと思います。
その後の連絡で、完全な標本ができたこと等の報告があり、新種(一属一種)の「イリオモテヤマネコ」としてデビュウ。
赴任二年目は三学年の担任となり、「やんちゃな生徒」と付き合い、山野に出かけたり、一度は徒歩で西表島一周を3日かけて実施しました。その時の食料は米のみで、あとは釣った魚を食べながらの一周で、大冒険もしました。
生徒たちは、島に残る者、高校進学する者、集団就職で内地で働く者等出発は様々でした。ぶじ卒業までこぎつけたことは、心の中で「ヤマネコ」との出会いが一つの励みになったことだと思います。まさに戸川先生の「ヤマネコ」に対する熱意が、私の学級経営を支えてくださったのではと思います。戸川先生、ありがとう。」

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